『夕霧、女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)に後朝(きぬぎぬ)のお手紙「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道17B』はセカイモンで6cce2df791cから出品され、291の入札を集めて01月10日 17時 29分に、15000円で落札されました。即決価格は15000円でした。決済方法はに対応。長崎県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。
閉じる
閉じる 閉じる 閉じる 閉じる 閉じる 閉じる 閉じる京都・大谷派本願寺刊「仏教美術名宝集3種セット」『法林墨華』『常葉帖』ほか 親鸞聖人 浄土真宗 仏画 仏像 仏教建築
¥ 7720
松路久閑人序 歌川芳虎画『諸国大合戦 四』江戸時代和本 浮世絵 武者絵 錦絵
¥ 7720
鈴木正三著 手島堵庵注『盲安杖』安永7年序 すみ屋勘兵衛他 江戸時代和本 禅僧法語集 曹洞宗
¥ 6588
速水春暁斎『絵本合邦辻』(全10冊揃)嘉永3年秋田屋市兵衛刊 江戸時代和本
¥ 26813
二条の尚侍の君(朧月夜の君)から源氏の君へのお手紙を紫の上に見せる・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道Ⅱ-90B
¥ 15000
柴田鳩翁『鳩翁道話』(合本全3冊・全18編揃)天保10年京摂書林刊 江戸時代和本 心学者道徳書
¥ 7720
西毅一著 芳本鉄三郎編『薇山文稿』明治16年 武内弥三郎刊(岡山県)漢文集 漢詩 明治時代和本 旧岡山藩閑谷学校初代校長
¥ 16358
高井蘭山編 尾崎年種木版画『絵本三国妖婦伝』(全3冊揃)明治17年 木村文三郎刊 明治時代和本(和装活字本)
¥ 12000
素行堂松鱸撰 十方舎一丸画『東海道五十三次新柳樽 初篇』安政3年会津屋辰三郎他刊 江戸時代和本 川柳絵本 絵草紙・草双紙 浮世絵
¥ 16358
紫髯編『如雲紫笛道人不二法門』(上下巻・元合本全1冊)安永9年美濃屋治右衛門他刊(京都)江戸時代和本 如雲舎紫笛 仏教書 仏書
¥ 10038
柏木・東宮(皇太子)に頼み込んで女三の宮が大切にしている猫を預かる・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道-Ⅱ-5B
¥ 15000
鶻89) 笑府 古書 和書 時代 江戸
¥ 6800
古書「先哲遺墨集」乾坤2冊揃 昭和13年 目録 図録 大型本 書道/山水/花鳥/唐画 (日本画 古文書 古筆 和本
¥ 6800
邨岡良弼著 邨岡良臣編『拝陵日録 房総游乗 小金紀行』大正4年日頭山房蔵版 和本 外題「櫟斎小品」漢文紀行集 紀行文集
¥ 8177
★0253和本江戸元文4年(1739)序国学神道「神学千百年玄櫛」上下2冊揃い/野州藤原清篤述/古書古文書/木版摺り/上州高崎/榛名山
¥ 30250
ペルシャ裂 全10巻セット 絨毯 写真集 絶版品 レア 文化 X59
¥ 5933
中山美石『飢饉の時乃食物の大略』天保8年刊 江戸時代和本 本居大平の門人で三河吉田藩士・国学者の主著 天保の飢饉 天保の大飢饉
¥ 26359
▲60Z543▲古書・和泉名所図会全四巻・4冊揃/大阪地誌寛政8年和本挿絵歴史資料
¥ 29000
染崎延房(為永春笑=二世為永春水)編 月岡芳年画『浪花史略』(2冊=第1輯下+第2輯下)明治8年後藤忠七 明治時代和本 関西史 大阪資料
¥ 6571
第七回帝国美術院美術展覧会図録・第二部絵画・西洋画之部/文部省/大正15年/帝国美術院が主催した官展・文部省美術展覧会(文展)の後身
¥ 6800
江島其磧『商人家職訓 三之巻』浮世草子 江戸時代和本
¥ 7720
地球度割圖解 安田雷洲著
¥ 86400
特大判 咸豐元寳 當百 58.0mm 5775
¥ 5440
Neural DSP Quad Cortex クアッドコーテックス
¥ 122400
デュエルマスターズ 頂上連結 ロッドゾージア5th 4枚
¥ 8000
この空がトリガー 大場花菜 直筆 コメあり 生写真
¥ 5950
印象派と栄光の名画展 カタログ コレクション アート愛好家 本
¥ 6547
オークファンの無料会員に登録すれば
一度検索した商品をお気に入り登録可能。
マイブックマーク機能で
いつでもすぐに登録した商品を
見返すことができます。
既に会員の方はこちらからログインをお願いいたします
「同じ商品を出品する」機能のご利用には
オークファン会員登録が必要です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額8,800円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
オークションで稼ぐための人気機能!
「期間おまとめ検索」を使えば、複数月をまたいだ指定期間の相場検索が可能です。レアな商品の相場や過去の出品数をまとめて確認できます。
さらに、オークファンプレミアムに登録すると最大過去10年分の相場データが月1,200回まで閲覧可能です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額2,200円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
自筆「源氏物語」の「夕霧(ゆうぎり)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「夕霧の巻」の主人公「夕霧」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う柏木として描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は夕霧(ゆうぎり)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。「夕霧」の巻名は、夕霧が柏木の正室(朱雀院の姫君・女二の宮)落葉の宮に書き送った和歌「山里のあわれをそうる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」による。源氏の君と葵の上の長男・夕霧は、病にふせる柏木を見舞う場面は、国宝「源氏物語絵巻」に美しい画像として描かれている。柏木は、自分がなきあとの正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の行く末を案じ、友人の夕霧に遺言として女二の宮の後事を託す。柏木なきあと、落葉の宮と称される女二の宮の世話をするために法事の世話などの用事にかけつけて落葉の宮をあう。そこで、恋心がつのった夕霧は、落葉の宮との結婚を願うようになる。夕霧と会う落葉の宮を心配する母の一条御息所は、心配のあまり夕霧に手紙を送る。だが、その手紙は夕霧の正室・雲井雁の発覚によって夕霧に渡ることはなかった。娘・落葉の宮の出家の希望を聞いた父・朱雀院(前朱雀天皇)は、一条宮の邸に連れ戻される。しかし、夕霧の希望により落葉の宮との対面の機会が生まれ、二人は婚儀を行なう。源氏の君と紫の上はこれも運命と考え忠告するのを控える。夕霧と結婚した落葉の宮は、その後、多くのこどもを授かり幸福な時を過ごす。
自筆上部の「人非木石皆有情」人木石に非ざれば皆情あり「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。夕霧の巻の一節「岩木よりけになびきがたきは、契りとうてにくしなど思うやうあなるを」の一文による。夕霧の巻の原詩は「木石」であり、夕霧の巻は「岩木」であるが、古来「白氏文集」に由来されているとされる。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
「夕霧」の巻は英文で「Evening Mist」と表記されます。
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)漢詩の落款が押捺。夕霧の原文に引用されている。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・夕霧の原文に引用されている。》
《とふらひに》・・・・とて、た(立)ちよ(寄)り給へりけれは、
かたしけなく聞き侍りし」と、きこえ給ふ。
「いて、あな、かたは。なにかしに隱さるへきにもあらす。
今朝、後夜にまうのほりつるに、かの西の妻戸より、いとうるはしき男の、
出て給へるを。霧深くて、なにかしは、え見分いたてまつらさりつるを。
此(この)法師はらなむ、「大將殿の出て給ふなりけり」
「よへも、御車もかへして、泊り給ひける」
と、口々申しつる。けに、いと、かうはしき香のみちて、
かしらいたきまてありつれは、「けに、さなりけり」とおもひ合はせ侍りぬる。
常に、いと、かうはしう物し給ふ君なり。この事、いと、せちにもあらぬ事なり。
人は、いとうそく(有職)にものしたまふ。
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《夕霧、月明かりの下で恋する女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)とご対面》
《夕霧、女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)に後朝(きぬぎぬ)のお手紙を書き送る》
《(朱雀天皇の皇女・女二の宮の母宮)「故大納言(柏木)がとても仲よくしておられて、後事を頼んでおおきになったお気持にそむくまいと、
もう長い間何かのことにつけて、ほんとに不思議なくらい親切におっしゃってくださり、
お世話いただいております。こうしてわざわざ私の病の見舞にとて・・・・・立ち寄って
くださいましたので、もったいないことと存じておりました」
と申しあげなさる。
(律師・僧)「いやいや、それは聞えませぬぞ。拙僧にお隠しになることでもありますまい。
今朝、勤行(ごんぎよう)に参上した折、あの西の妻戸(つまど)からまことにきちんとした男が
外に出られたのを、霧が深くて、拙僧にはどなたかようお見分け申せなかったのですが、
ここの法師どもが、大将殿(夕霧)のお帰りになるころだったとか、昨晩もお車を帰して
泊っておしまいだったとか、口々に申しておったのです。
大将殿(夕霧)いかにも、まことに香ばしい薫りが立ちこめて、
頭の痛くなるくらいだったのですから、なるほどそうであったか、と合点したのでございます。
いつもじっさいに香ばしくしていらっしゃるお方なのです。
備考・落葉の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。柏木は生前、友人の夕霧に落葉の宮の行く末を遺言として託していた。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Evening Mist (夕霧)》
He has come to inquire after me and I am very grateful."
"Now this is strange. I am a humble man from whom you need not hide the truth.
As I was going in for the early services I saw a very stylish
gentleman come out through the door there at the west corner.
The mists were heavy and I was not able to make out his features,
but some of my colleagues were saying that it was definitely the general.
He sent his carriage away yesterday evening, they said, and stayed the night.
I did catch a very remarkable scent.
It almost made me dizzy. Yes, said I, it had to be the general.
He does have such a scent about him always.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《夕霧》
今天早晨僧上里来做后夜功,
看一位表堂堂的男子从西面的出来。
那朝霧甚重,僧不能辨是。
同来几位法口同声地:‘夕霧大将回去了。
昨夜曾将遣去,在里宿夜。’
怪不得衣香那重,教人了痛,原来是夕大将来了。
位大将身上常常散出重的衣香。老夫人,
件事情其不好。他原是一位才高学博的人物。
从他童年始,僧就秉承已故太君之嘱咐,
替他祈祷。直至今日,凡有法事,
都由僧一手承当,因此知之甚。
公主和他姻,在是无益的。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」夕霧の巻の末尾(原本番号73-A)の押印。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「夕霧の巻」末尾の拡大写真。
左上は、「人非木石皆有情」の印。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(夕霧の巻)MRI 39―17B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「夕霧の巻」主人公・夕霧の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる夕霧。
病床の柏木を見舞う夕霧。左が柏木、右が夕霧。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定